京アニ

いざこの感情を何かに残そうとしても、

残してなんになるんだという気持ちと、

言葉にすることで失われるものの大きさと、

それでも残しておかなければならないんじゃないかという打算と、

色々な感情がぐちゃぐちゃになった状態で、これを書く。

 

京アニについて語ることは特にないし、

語ったところでとうなるわけでもない。

思い出は一人一人の中にあるものだから、

誰かが京アニについて説明してみたところで、

知らない人には「へーそうなんだすごいんだね」

くらいの感想しかうまれない。

 

別に自分語りをしたいわけではない。

僕の京アニに対する思いとか、思い出とか、聖地巡礼した話とか、

語ってもあの人たちは戻ってこない。

僕を作ってくれたあの人たちは帰ってこない。

それがただつらくて、悲しくて、心臓とみぞおちが痛い。

 

多分あの人たちは僕よりも、僕とは比較できないほど、

痛くて、熱くて、つらくて、苦しくて、悲しくて、

理不尽で不条理なこの世界を、あの男を呪っただろう。

 

冥福なんかできるわけがない。

あの世界にあこがれて、想いと努力を積み重ねて、

最高の環境を手に入れたのに、

これから最高の作品を作ることができたのに、

お悔み申される程度で成仏できるか。

 

あの人たちの苦しみを、僕は感じることはできないし、

こうやって言葉にすることもできない。

沈黙して、涙を流すことしかできない。

 

PrayForKyoaniってなんだよ。

京アニの作品を観ようってなんだよ。

グッズ買って支援しようってなんだよ。

京アニ作品の絵をUPしてるやつなんだよ。

なんで普通に生活してんだよ。仕事行ってんだよ。

あの人たちを置いて話進めんなよ。

 

不謹慎厨でもいいよ。

なんでいま京アニ作品見る気になるんだよ。

夢と青春と現実の詰まったあの作品を作った人たちが、

意味わかんない一人の男に燃やされたんだぞ。

意味わかんないだろ。どっちが現実だよ。

意味わかんなさを確かめるために観るのか?正気かよ。

 

祈ってなんになるんだよ。

生きたまま燃やされて、目の前で同僚たちが死んでいって、

いま病院にいる人に対して、死んでしまった人に対して、

祈ってなんになるんだよ。募金してなんになるんだよ。

金集めてまたアニメ作ってくださいって?

皆さんが大好きなアニメ作ってくださいって?

どうかしてる。

 

本当にもう黙ってくれ。

いい人ぶらないでくれ。理解あるふりをしないでくれ。

僕はもう黙る。黙って泣いて待つ。

 

 

青春はほうれん草のように

 

はじめまして、桂家とくです。

 

この記事で触れることは二つ。

一つ目は、「桂家」の由来の話。

二つ目は、グラブルの話。

 

桂家とは方南町に存在していたラーメン屋。

人智を超えた家系ラーメンを口にした客は、

一人残らずトリップした。

 

まさに小旅行。

豚骨醤油の海を渡り、ほうれん草の森に分け入り、

チャーシューの大地を駆け抜け、麺と共に天へと昇った。

 

そんな桂家からスポンサードされていたのは、はるか昔の話。

店主が亡くなり、店も閉店してしまった。

 

ramendb.supleks.jp

 

けれども僕はこの名前を捨てるわけにはいかない。

「桂家」という名をどのような形であっても背負っていかなければならない。

 

それは、名前も顔も知らない桂家店長への感謝と、

最高のラーメンに出逢わせてくれた一人の男との絆を、

目に見える形で残していきたいから。

 

 

 

そんな僕の夢は、ブログのアフィリエイト収入で桂家を復活させることです。

 

グラブルの話はまた次回。